やべぇ痛み
痛みには2種類あると気づいた。軽口たたける痛みとやべぇ痛み。
長くなります。ひぐの体の痛みの備忘録。体のことに関しては、群発頭痛以来かしら。
あの時も……いっっっっったかったなぁっっっ!
軽口たたける痛みは「イタイーイタイー」とか気持ちと口がそう言ってるだけで、体は(2、3日したら治るだろうな)と静観してる。痛いのを我慢できるから、痛みのレベルがわかる。だから獣みたいにじっとする。
やべぇ痛みとは。
「おい、このままいったらやべぇぞ」と体が警告を出すヤツ。
逆に気持ちと口は騒がない。尋常じゃあないなぁ、、、と心がなんだか冷えたように静か。
痛いのに。じっとしてたって治るわけがない痛み。自力ではどうにもならない痛み。痛すぎるから痛みを直視できない。痛みのレベルが未知数。考えられなくなって、
うん、これは、やばい、とつぶやく。
そして最新のやべぇ痛み。
それは島根から帰ってきてから起こった。
坐骨神経痛というやつ。
痛みの気配は夏。
左の太ももの外側に痛み。
この時は、「わ、イタイ!」と軽口たたく。
そのうち忙しくなって、睡眠不足になったり、座りっぱなしや立ちっぱなし、クーラーの冷たさで、秋のplant Mの公演あたりには痛みのフェーダーはどんどこ上がり続けて、それでもまだまだ軽口たたける痛み。
公演の最中に、舞台監督の都さんに「お尻の横から太ももにかけていたいねん。ヘルニアかな」とか言うてたら、
「ひぐちさん、芝居見てる時とか、腰悪くなるような体のねじりかたしてるで」という指摘をもらう。
その時は、「ふりかえりをメモ帳に書きながらやから、そうなんかー」と、スルーめな返事をしてた。公演が終わってから、これ以上痛みのフェーダーが振り切れたらイヤだなと。そういえばちゃんと休んでなかった。自らを癒すため、ストレッチと温泉であたためてほぐす日々。
そのおかげで島根滞在は痛みが軽減。
やっぱりコリだな。うむ、とか言うて。
仕上げは雲南で受けた筋膜リリース。
10年くらい雲南に行っているのに。お店の前をよく通るのに。初めて行きました。すげいよ。
かたまっていた指先がスムーズに動いて感激ス。身体のすみからすみまで、リリース。なんてすっきりなのかしら。筋膜リリース、やり方をおぼえたい。日々、ギチギチする体。今まで酷使してきて申し訳ないかったなと体のメンテナンスを丁寧にしてきたけれど、実は最近サボってたなぁと反省しながら、大阪に帰って参りました。
で……なんか妙にガンバッテしまって。
ほぐそうと思って。
テニスボールみたいな大きさの球が2つ連なるマッサージ用品で、腰をゴリゴリとする。気持ちがいいなとゴリゴリしていたら、一瞬の超絶激痛。でも一瞬。めちゃくちゃ痛かったけれど、でもあとに響いてないから気にせず眠って次の朝。
あ……
やべぇ。。。
ひさびさにやべぇ。。。
これは、やべぇ痛みっぽい。
なんか経験したことがない質感。
打ちつけた痛みでもなく、切りつけた痛みでもない。しびれているような。
この痛みはナンだ?
どんな種類のもの?
こんな痛み、知らない。わたしの体のデータにない。
やべぇな。。。
って、体が言ってる。
本当に言ってる。
速攻で整形外科へ。
レントゲン。そらまぁ撮るわな。
「腰の骨があって炎症を起こしてますね。坐骨神経痛ですね」
左のお尻の横から、左の太ももの外側、裏側、ふくらはぎに外側、裏側、足首にかけて、、、よく聞く坐骨神経痛、、、
「長風呂はダメですね。筋トレもダメです。マッサージは絶対にダメ」
ぜんぶやってたやん。。。
たぶん夏頃から坐骨神経痛の気配はあったのだろうなぁ。。。
最後、マッサージでダメ押ししたのかしらねぇ。。。
痛み止めをもらう。
気はすすまない。
しかし痛いので飲むしかない。
1日目。
薬を飲んでも痛いわね。効いてるの効いてないの?
やべぇ痛みのまんまでかすかに微笑む。なんでふっと微笑んでしまうんだろうな。いてぇな。薬というものをもうずいぶん飲んでいないせいか、だるさを感じて夜、横になるが、どの寝方をしてもやべぇ痛み。眠れズ。
2日目。
家の中で、座り仕事をするぶんには何の支障もなく。え。大丈夫かも、とタカを括る。おばかちゃん。夕方、ののさんのお稽古に出かける。愕然とする。やべぇ痛みにより100メートルも歩けない。12月、なかなか浮かれた町なかで、ひとりしゃがみ込んで静かにうめく。
「まじか、、、」
立ったり座ったりはなんの痛みもない。
歩き始める一歩二歩もへっちゃら。
しかし5歩を超えたあたりから、左足のお尻から足首にかけて、痛みがうごめく。
しゃがんで足のストレッチをしなければ、続きが歩けない。ストレッチをしたら、また2、3歩歩ける。いやはやー!! 2、3歩て!!!!
痛みって、自分とは別の生き物が体の中を動き回るみたい。痛みには私とは別の意志がある。左足の内部を駆け巡るこの痛みに名づけてやろう。おまえは「鈍痛しびれ痛みの蛇」だ。うねうねと這いずり回る。痛みの道をくっきり残して。内側から噛みつく。
ハッとする。
これが、神経の痛みかっ、、、!!?
とか心のなかで言いながらなんとか稽古場へ。お稽古は座らせてもろて。
座ってると痛いことなんて本当に忘れる。
お稽古終わって立ち上がって、また錯覚する。
「いけるやん、、、!!」
希望は打ち砕かれる。
2、3歩進むと、やっぱり蛇が動き出しやがる。
5日の金曜日から、豊橋PLATで市民劇のプレお稽古。どうにか豊橋に辿り着く。豊橋の駅から劇場に直結する渡り歩道橋がある。夕焼けがいつも素敵に見えるところ。とても好きな風景。その橋を、休まずには渡れない。途中でしゃがみ込んでストレッチしなきゃ歩けない。
これ、痛み止め飲んでても無駄だな、と感じる。
次の手を打とう。
PLATに着いて、担当の石田さんがいつものキュートな笑顔で迎えてくれる。
すぐに相談してみる。
「豊橋で、いいところないですか?(坐骨神経痛関係で)」
劇場スタッフさんってすごいなと感心する。いや、石田さんがすごいのか?
いくつか紹介してくださる。たぶん、ここがあってます、とマッチングまでしてくれる。
稽古が終わった夜遅くまでやっているところなので、さっそく予約する。
ええい、痛みの蛇に惑わされず、私はこれから、とにかくお稽古を満喫するのだっ!
というわけで、皆さんに坐骨神経痛とお伝えして、椅子に座らせてもらう。キャスター付き椅子だから、座ったまま移動できるスグレモノを借りる。座って痛みを感じないとすぐに忘れる。うっかり立ち上がって歩いてしゃべってしばらくすると、「あ、あかん、座ります」と痛みにヤラレる。
稽古終わり。
自転車を借りる。
なぜか自転車もへっちゃら。
乗り降りもぜんぜん痛くない。
立つ、歩く、寝る。
それが痛い。
本当に痛い。
たどり着いたそこは骨を整えるところ。
施術はたぶん15分くらい。
うつ伏せ、仰向け、横向けで施術。
横向けが1番痛くない。痛みがサーっとひいていく。
うつ伏せ、仰向けは「鈍痛しびれ痛みの蛇」がやってやるぜと言わんばかりに暴れ狂う。
お、お、おまえー!!!と、叫びたくなる。
施術はやわやわと筋肉に触れる柔らかい動きが90%で、骨に触れるのが10%みたいな感じ。
ほぼうつ伏せ仰向けだからもう痛みしかない。施術が痛いわけじゃない。
ただ寝てるだけで痛い。
「体がねじれている」と、わたしと同い年のそのセンセは言いました。
「原因は左側じゃくて、右側だね」
骨盤は左が下がって右が上がってると、腰の位置を鏡で示される。
あー、、、そうね、、、確かに、、、そうなってるわね、、、
「センセ、、、なんで体がねじれるんでしょうか、、、」
「生活習慣」
即答。
「毎日、なんかねじって生活してるはず」
ここで、みやこさんの言葉を思い出す。
ねじってるて言われてた。
さらに思い出す。
ここ数年。毎朝、目を閉じでまっすぐ立つことをしていて。最近は忙しくておろそかになってた。目を閉じて、これがまっすぐ、と思って立つ。目を開ける。いつも、右足のつま先が、左よりもほんの少しだけ前に出ている。右足をたどっていくと、右の骨盤がくいっと、ほんの少し、前に出ているのだ。目視してそれをまっすぐにする。毎朝気をつけてこれを続けて、まっすぐに立てるようになっていたのに、ちょっとサボってなぁ。
続けてセンサは話す。
「極論すると、ねじれる原因は重力。無重力ならねじれない。右側が前に出てるから、重力で引っ張られてねじれていく」
、、、じゅ、じゅうりょくー!!!!!
げきじょうのひ#1グラロスを思い出す。
この地上で、重力から解放されるってことは、体を失なうってこと。体を失うって、存在を失うってこと。この地球で生きてるって、身体を持ってるから生きられる。引っ張られる身体を持ってる。私の体の、ほんの少しの右つま先のズレ。身体のズレ、存在のズレを重力が引っ張る。ねじれて痛いけれど、存在があるから引っ張られるんだ。
ああ、在るなぁくそぅぅぅおもしろいなぁぁぁくそうぅぅぅいてぇなぁくそうぅぅぅ!!!
施術中、痛みで叫びながらも、わたしのおもしろスイッチを押されて、喜びの声もあがる。
ずいぶん奇妙な患者だと思われただろう。痛いけど、この状況で聞いたことは忘れないな。
その日の夜、仰向けにになると痛みで眠れなかったので横向きで眠った。
次の日、土曜日。
少し、少しだけ、マシなんじゃないか、、、と思う瞬間があった。稽古中は座っていれば本当になんの問題もなく。しかし、夕方休憩の時に駅前のファミマに行くためにまた歩道橋を歩く。痛みでしゃがんだ。しゃがんだまま、電話で予約。
「きょ、今日の夜、、、いけますか、、、」
「来なさい」
稽古終わりに再び来院。
同じ施術。
仰向けうつ伏せが最も痛い。
というか、日々はできるだけ痛い体勢を取らないようにしているから、こんなにとことん痛みを感じるのは施術の時だけ。
「センセ、寝てるだけで痛いです」
「うん、でもこれは我慢してもらわないと」
逃れられねぇ。
ならどうしよう。
それなら、この痛みの向こう側を見てやろうと思った。
痛みが、本当に蛇みたいに移動する。重たい痛みが左足を破壊していく。痛みがふくれあがって、増えて増えて増えて、いつか破裂する、と思った。破裂、爆発する。そしたらどうなるんだろう。ふくれあがり続ける痛みをひたすら見た、感じた。
痛い痛いと「痛い」渦中にいるのではなく、痛いを自分から感じる。自分から見る。
これはちょっと瞑想に近いのかな。
いたい。
いたすぎて。
いたいを超えた。
「はい、起きて」
と、センセの声。
ふらふら体を起こして。
「センセ、、、痛みって、、、爆発しないんですね、、、」
「、、、は?」
2回目の施術が終わって、わかったことがある。
痛みの向こう。
痛みは爆発しなかった。破裂しなかった。
そうか、、、爆発しないんだ、、、
坐骨神経痛のこの痛みでは、死んだりはしないんだな、ということが痛みの向こうだった。
おばかちゃんめ。あたりまえだ。
坐骨神経痛でなにを大袈裟な、、、と自分につっこむ。そんでも痛いと思わず死ぬ!と思ってしまう。やべえ痛みとは、体が危険を教えてくれてる事なんだから。死ぬって思ったってしょうがない。
「あ、痛みでは死なないんだなって」
「この痛みでは死にません」
センセ、冷静。
その夜は真逆のことを想像した。
坐骨神経痛の痛みで肉体は死んだりしなくても、なにかの痛みで心のほうが先に死んでしまうことは、あるんだろうなと想像した。
そして日曜日。
お稽古は最終日。
あら、、、?
ちょっと!!!
途中でしゃがみ込まずに駅前のファミマまで歩けた!!!
まだまだ痛いのだけれど。
ぶっとい体の、紫色と緑色の体の、あの鈍痛しびれ痛みの蛇の気配がない。
しかし、時々あらわれて、またどこかへ消える。
あの痛みの蛇はどこから来るんだろう。
いや、ずっといるんだな。私の体の中に。そんで、今は少し動きにが鈍くなってる。
そのうち冬眠してくれないだろうか。
と、こんな妄想。
センセなら「骨盤が左に傾いて神経を圧迫している」と明確に答えてくれるだろう。
私はすぐに妄想する。
勝手に物語を作る。
「痛いくらいで死ぬわけねーだろう」と蛇が言ったような気になる。
その姿から、痛みの正体を思わず蛇に喩えたけれど、蛇は知恵や知識の象徴だったな。
とかなんとか思ったりして。
最終稽古が終わって、美術やスタッフ打ち合わせが終わってから、新幹線に乗る前にまた施術を受ける。
いてぇ。
まだまだいてぇのだが。
「歩かないと余計にダメになる」と聞いて、歩くことを恐れズ歩く。
「本当は周1で3ヶ月かけたらちゃんと治る」だそうです。
でも日曜日で帰るから通えないな。。。
豊橋には2月に参りますとセンセにお伝えして。
2月は通います。センセ、本当にありがとうです。興味深い話も聞けた。ありがとう。
帰り際にPLATによって、石田さんにありがとうをいっぱい伝える。本当にありがとう。
3日間のお稽古を無事に終えられて本当に助かりました。ありがとうありがとうありがとう。
日曜は東京で眠って、月曜日に目覚める。
そして土浦を目指す。
あ。
やべぇ痛みが少しうすれている。
でも油断しない。
まだ完全完治ではないから。
ああ、それにしても、やべぇ痛みやった。
この痛みはもう知ってる。
経験になった。
鈍痛しびれ痛みの蛇はまだ左足にいる。
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