COVID-19

最強の一人芝居フェスティバル
『INDEPENDENT : NHA 23』が無事に終わりました。
 
皆さま、本当にお世話になりました。
ありがとうございます。 
沖縄で『YAKISOBA』を上演するとは本当に思いもよりませなんだ。
犬養さん本当にありがとう。
銘苅ベースさんお世話になりました。
沖縄の皆さん、たくさんたくさんありがとうございました。 
そしてINDEPENDENTの相内さん、ありがとうー!
 
フェスティバルってすごいなぁと思いながら銘苅ベースにおりました。
劇場はいっぱいでした。
よかったなぁ。
演劇って面白いなぁと客席に座っておりました。

そして、ふと。
楽日に。 
すごく楽しくて。
とっても素敵な時間で。
劇場を見て。
満席なのを見て。
たくさん人が演劇を観てくれていて。
それがとてもとても嬉しいことで。
 
だからふと、 わたしは、分からなくなってしまった。

あの日々のことが。
 
2020年4月からの日々のこと。
 
COVID-19は、本当にその人それぞれで、
きっと暮らしている土地にとってもそれぞれで、
大きく影響があったり、
あるいは少なかったり、
今なお後遺症で苦しんでいはったり、
出来事は確かに世界共通で共有しているはずなのに、
きっと誰ひとり同じ反応ではない。
そんなことは当たり前だ。
なにもCOVID-19に限ったことじゃない。
 
2020年のあの頃と3年がたった今と、わたし自身が感じることが大きく違う。
あの頃、どの土地にいたのかでも感じ方はきっと大きく違う。
木次に滞在していたわたしは、東京の友だちからSNSを見るのがもう辛いと電話をもらったことをとてもよく覚えている。
わたしはといえば、木次では大阪弁だから外にはあまり出ないように勝手に自主規制して、
桜並木の下で、一人でいるときはそっとマスクを外して深呼吸したりした。

キラキラの太陽が木々の緑をもっと輝かせている沖縄で、
今、あの時感じていた妙な怖さを、
リアルに思い出してみようかと試みてみたけれど、無理だった。
 
わたしは忘れているんだ。
 
『YAKISOBA』を観て、
ああ、そうだった、あの頃、そうだったなぁ……
なんて、思い出として、思い出している。
 
楽日が終わると、Plant Mではいつもの「振り返り」をするのだけれど、
今回は バラシが終わると、わたしの飛行機の時間があったので沖縄を発った。 
次の日の夜に、石畑くんから電話をもらいそこで「振り返る」
 
いつもなら、詳細に、なぜそう感じるかなどを話すのだけれど。
楽日を観たわたしの感想は、なんだか何かがハマらない感覚。
それは良い、悪い、というようなものでも全くない。
なにがどうハマらないのか、いつもならその感覚を探るのだけれど。
それがどうにもうまく言葉にできない、けれど最後の台詞、
「春やったのになぁ」を聞いた時に、
 
ああ、これでよかったのかもしれない。
 
と、感じた。
 
それがなんなのか、これはもう俳優の石畑くんに体感を聞くしかないと思った。
 
しかし石畑くんの感想は、なんともわたしととてもよく似ていた。
何かがハマらない。
けれど片付けをしている時に、これでよかったのかも、と横切る感覚。
だから石畑くんも、わたしがどう感じたのかを聞こうと思っていたとのこと。
 
COVID-19とはなんなのだろうか。

「ここにおる」を今年の1月に上演した時は、
COVID-19があろうがなかろうが、人は愛しい人の最後にはそばにいたいのだ、
というシンプルなことが分かった。
 
そして今回の「YAKISOBA」で私は勝手に、
 
ウイルスは絶滅させない。
絶滅させるのは人間だけ。
 
というシンプルなことが分かるのかもしれないと予測をしていたのだ。
それも確かにそうなのだ。
そして、「YAKISOBA」もまた、愛しい人のそばにいたい、
一緒に生きていきたいという思いがある、
それも、確かに、そうなのだ。

けれど予測を大きく上回ったことが、
 
COVID-19とはなんなのだろうか。
あの日々はなんだったのだろうか。
 
という、分からなさ。

と、今、これを書いていて、思った。
 
集まることがなくなり、
会社とか、通勤とか、
卒業式とか、授業とか、
修学旅行と、入学式とか、
結婚式とか、公演とか、
飲み会とか、寄り合いとか、
 
COVID-19によってなくなってしまった日々のことを、
ニュースでもたくさん取り上げていた。
 
しかし、在った。
COVID-19によってなくなってしまったと嘆いた日々が、
確かに在った。 

「また別の土地でもやってみたい」と石畑くんが言った。
そうかもしれない。
繰り返し繰り返し、やってみると、
分からない何かが、見えてくるかもしれない。 
 
と、思うのは、わたしにとっての『YAKISOBA』でしかないのだけれど。
 
人ひとりそれぞれのCOVID-19がある。
同じように『YAKISOBA』を観た人ひとりそれぞれの『YAKISOBA』がある。
 
COVID-19というウイルスから見れば、人間はどれも皆同じなのに、
COVID-19というウイルスを見ている私たち人間が感じること思うことは、
 
人ひとりそれぞれ。

そんなことを考えているから、きっと今日もまたじっと風呂場で動けなくなるのだろう。

銘苅ベースはマジ素敵💖

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