カラダはお家

わたしにとってチビ友である出口ここねさん。
彼女にとってわたしはデカ友である。
彼女は8歳。そして今年9歳になる。
うむ。大きくなった。
今となっては、わたしのほうが叱られるほどに大きくなった。 
しっかりしているお子である。
 
が、まだまだ子どもだ。
ほんの子どもだ。 
まだまだとても小さい。
そしてふと思う。
わたしにも、8歳と9歳の頃があった。
 
そうか。
こんなに小さかったのかと振り返る。
今の自分が振り返るから、
8歳と9歳の頃の自分がなにを思い、
なにを感じ、
なにを考えていたのかは、
本当のところは今のわたしには分からない。
同じ人間なのに、もう別人だ。
47歳の脳内が思いだす子どもの自分しか存在させられない。
あの瞬間の脳内には戻らない。
やたらと冷静な47歳の脳内で思い出すだけだ。
 
時間は過去から未来へと流れる、というのが当たり前だろうけれど、
時間は同時に並行しているという考えもある。
 
もし、いま、子どもの頃のわたしが同時に存在しているなら、
わたしは伝えてあげようと思う。
 
すごくすごく面白いよ、と伝えてあげる。
ひっちゃかめっちゃかで、なんかいろいろ面白いよ、と。
だからひっちゃかめっちゃかのまんま、
ここまで生きてきたらいいよ、と伝えてあげよう。
そんなわけでこれから自家製ポプリのお風呂に入るのだ。
 

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