いま、どこかで誰かが殺されている、と実感してしまった時、

沖縄戦のことを考えていたら。
ロシアとウクライナ。
戦争はずっと続いていて、
ずっとなくならない、と思わされてしまう。
誰に?
誰でもない、自分にだ。
なくなるわけがない、と、そう自分に思わされてしまう。
けれど、同時に、いや、絶対になくなる。
と、わたしの体のどこかが信じている。
とてつもない時間をかけてでも、きっとなくなる。
戦争という選択をしなくなるために、人間は生きているのだ。
と、信じている。

なにかしなければ、でもなにをすれば、と焦る時、
できることをできるかぎりやっているのにどうして、と疲れてしまった時、
なにを信じればいいのか、と分からなくなった時、 
どうせなんにもできないし、と諦めたくなった時、
すっかり戦争のことなんて忘れてしまっていた、と罪悪感を感じた時、
いま、どこかで誰かが殺されている、と実感してしまった時、 

目を閉じて自分の呼吸の音だけを聞く。
 
誰だって、本当は兵士だって、誰も殺したくないし、殺されたくない。
 
たったそれを思うだけでも、人間が生み出す争いに抵抗しているとわたしは思う。
 
人間が生み出したのだから、人間がそれをなくすことができるはずなのだ。
そしてわたしも人間のうちのひとりだから、この戦争を生みだした張本人であると思う。
と、同時に、それをなくすことができる張本人でもある。
気が遠くなるほどのとてつもない時間をかけて。
人間が愚かだとは思わない。
人間はまだ成長の途中だ。 
どんな人間でも。

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