役者紹介『君ヲ泣ク』弟 吉次匠生(QoiQoi)

横浜の弟は、吉次匠生くん。

2018年のnoyRのダンスプログラムの『ジュリエットBOX』に出演してくれたのが、

わたしとのはじめまして、でございました。

その頃は、少年がまたちょっと残っている感じがした。

たった3年前だけれど、ナニかが、匠生のナニかが変化したのだ、

ナンだ、ナニが変化したのだろうかっ!?

稽古初日にじぃっと観察して、

ああっ! そうかっ! と、合点がいきました。

彼はもうQoiQoiという劇団の主宰なんだ。

『ジュリエットBOX』の頃は、まだはじめて間もない頃だったかしら。

そこから3年。

自分の団体がある、ということはとても大きなことだと思う。

体の中に、しなやかな芯が一本通ったみたいに自分の意思で立っている。

当たり前のことだろうけれど、

わたしたちはなんとなく立ててしまえるから忘れている。

だから自分で立つって、当然だけれどすごいこと。

ある日の稽古で、

弟として “ただそこに居る” という状態に匠生がなった時に、

弟はなにひとつ言葉を発していないのに、

マシンガントークをする姉たちを無言で底上げするという瞬間を見た。

声は震えだから、

発せられる震える言葉によって演劇が創り上げられることは確かだけれど、

存在という震えは声よりももっと強力だ。

彼は演出家でもあるし劇作家でもあるからか、

自分の状況をいつも冷静に振り返る。

今日はこんな試みをしてみる、というのも明確で、その着地点も明確。

視点が広くて高いのかしら。

それはお芝居の稽古のみでなく、

1週間に1度の話し合いの時にも垣間見えた。

自分の個人的な思いや感情と、今の現実の状況を分けて考える。

今、現実の社会の状況がどうなっているのか、ただ事実を見る。

ではその事実を受けて、自分はどうするべきなのか。

それが今はまだうまくは繋がらないのだと言った匠生の言葉がとても印象的だった。

 

なんで演劇をやっているのかを考える時、

わたしは観劇してくれた観客のその後を想像する。

そして関わってくれた全ての人々のその後を想像する。

演劇行為、観劇行為は時限爆弾を埋め込む行為だとも思っている。

たとえ今すぐに爆発しなくても、

1年後か、3年後か、10年後か、50年後か、

観た人になにかしら作用するのだと信じている。

作用した人が、また別の誰かに、なにかの作用を起こすのだと信じている。

長く長く広く深く、人の人生に関わるのだと信じている。

だから遠い遠い、

気が遠くなるようなことをわたしは演劇でやっていると思っている。

今、この状況で、公演をするか、しないのか、その結果もまた演劇と同じく、

遠い遠い、遠い人たちへ作用する。

『君ヲ泣ク』は、

人間の自由意思で、ジダイジダイの破壊の透明巨人を止められるかどうか、

ということが密かに語られていて、

通しをするたびに、

俳優たちの体から発せられる言葉が無数の弾丸となって、

わたしを撃ち抜いていった。


どんな状況でも、表現は必要だ。

けれど、それにはグラデーションがある。

バランスと折り合い。


今はまだ「うまく繋がらない」と匠生は言ったが、

きっと無意識に気づいている。

社会と自分個人を繋げようと模索する匠生そのものが、とても演劇的だった。

だから彼もまた、演劇をやっているのだろう。 

 

今週末に予定していた『君ヲ泣ク』横浜verは中止となりましたが、Plant Mのホームページで『君ヲ泣ク』のテキストが閲覧できます。

https://plant-m.jimdo.com/

8月の暑い日々、ともに過ごした俳優たちに感謝と労いを。


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