舞台手話という経験

舞台手話通訳付き「凛然グッドバイ」公演が無事に終了しました。

観に来てくださった皆様、本当にありがとうございました。

とてつもない経験でした。いろんなことがたくさんあって、ありすぎて、そのどれもが貴重でした。 舞台の上にはたくさんのものが乗っかる、と思うのです。作家の頭の中、演出家の頭の中、役者の頭の中、スタッフの頭の中、公演に関わったあらゆる人たちの頭の中が、そこに、

手話通訳という頭の中が加わる。

たくさんの人間の思考回路が在る。

思いが在る。

思想が在る。

だからより、深まる。 

創作って、本当に面白い。

知っていたけど、今回、あらためて思った。

16日から始まったクリエイション。もっともっと、長い日数を豊橋で過ごしたような気がする。濃密な時間でした。この経験に本当に感謝です。

企画立ち上げの吉川くんから始まって、PLATの劇場制作さん、劇場スタッフさん、俳優のみなさん、そしてそして廣川さん、河合さん、舞台手話通訳の加藤さん、高田さん、水野さん、現場の手話通訳の皆さん、舞台当日までに関わってくださった全ての皆様、お客さん、ありがとうありがとうございます。

「凛然グッドバイ」は10年も前から創作し続けている作品で、

だからこそこの短い時間で作れたのだな、と思いました。

この10年間の間、「凛然グッドバイ」に携わってくださった全ての皆様にも感謝です。

本当にありがとうございます。 

衣装を洗濯して、揺れて見上げる。 

なにもかも全てをすることはできないけれど、だけど出来ることはあるのだと思えた。

できないことばかりをみると、落ち込むから。

当日パンフに人物相関図を乗せてはどうかしらと制作さんと相談して、

書いてみました凛然グッドバイまるわかり。

 

「凛然グッドバイ」でいいのかしら、と考えたけれど。これでよかったのだと思いました。アフタートークの時に、客席から「最後がなんだろう? と、わからなかった」と感想をもらいました。登壇していた廣川さんと河合さんが、

「大丈夫、わたしたちも台本を読んでも、わからなかった」

わたしも、「書いてるわたしも、まぁ、わかりません」

みんな笑った。

「わからないけれど、稽古をみていると、ああ、こういうことかと感じることがある」

と、廣川さんが言うてくれました。

手話でも、発語でも、同じに「わからない」って、なんだか嬉しいなと心から本気で思う。

手話通訳さんたちが、「手話は具体的ではっきりしているから、ここは観客がなんだろうと考えるところは説明しすぎないほうがいい、というのも翻訳するときに考えます」

と、教えてくれました。

わかんないって、思うこと。

なんだ一緒だ。

と同じように「わかんないけどなんかわかる」という人も、同じようにきっと客席に座っていたと思う。

わたしとあなたは違うけど、わたしとあなたはよく似ている。

人間は可能性の星だ、とやっぱり思う。

獣時代のデモを演じたnoyRの大木実奈ちゃんが、今回のこの公演を経験して思ったこと。

「自分が世界だと思っていた世界と、別の世界があったんだ。世界が広がったって、こういうことなのかと思った。もしかしたらデモも、こんな感じだったのかなって、思いました」

宇宙は広がり続けている。 

本当に本当に、ありがとうございました。

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