can tutkuが閉店したのは2017年3月末でした。 すっかり3年経ちました。
そのときに、カフェ担当の出口さんと、bar担当のののさんと、いつかは必ず劇場を作ろうねと話をしておりました。その時にひぐ、二人の会話に絶句しました。お金もないし、土地もないし、なんにもないけど・・・そうなったらどう考えますか。やっぱりどうやったら実現するかって考えるのが普通じゃございません?
ひぐは頭を抱えながら、お金の道筋とか考えていたんですけれどもイイ考えなぞ浮かぶわけもございません。だってそんな才覚ないじゃーん!
なのに、ののさんと出口さんは二人でキャイキャイ言いながら、
「やっぱ土やで」
「釜作ろう、釜、ほんで器作るねん」
「畑や、畑」
「中庭で木があって」
「畑で採った野菜で子ども食堂もして」
マジか。なに言うてんだろうか、このひとたち、マジか。
「いや、そんなん無理やん(いくらかかると思ってる?)」
と、ひぐが言いますと、ふたりは真剣な目をして言うんです。
「だって夢やん!」
「夢はな、いくらでも言うてええねんで!」
ええ・・・
そうなん・・・
知らんかった・・・
夢見るセンスが全くないひぐはもう目を閉じました・・・
そんなこんなで3年。
劇場を作るってことを少し横に置いてやってきました。
そんでもって今年はコロナがぶんぶんやってきて。
すると、やっぱりまた考え出すのです。
2020年以降の、
これから作る劇場はどうなっていくんだろう。
コロナがおさまっても、きっとまた未知のものはやってきたりするかもしれない。 それだけじゃなくて、未知の災害も今までよりも確実に増えていくんだろうと思う。
もし劇場を作るなら?
今までだったら、演劇そのものに焦点を当てて考えてきたけれど、時間とともに、出来事とともに、考えは変わる。そしたら、2017年3月末日、ののさんと出口さんが語っていた夢のカタチが、とてもリアルに感じられるのです。その時は、このふたりはなにを言ってるんだろうと思っていたことが、ああ、そうだなと腑に落ちるのです。
劇場とともに、避難所でないといけないんだな、と思った。
そして、ずっとずっと、演劇を作る人々が集まる場所と考えていたけれど、 今の私は「演劇をする人」が演劇人とは思っていないのだな、と。じゃあナンだ? と言っても上手いことまだ説明できるほどではない。でもぼんやりと。ふんわりと。考えている。
なんてことをこのあいだ、ののさんと出口さんと話したりしていた。
「わたしも思ってた」と、ののさんは災害のことをよく考えているのです。
アテなんてない。
だけど考えるのは自由だから。
それはちょっとだけ、私の夢見るセンスが成長した証だと思う。
ああやってこうやって、ほら、やっぱ無理やん、とリアルを考えるとリアルに無理なことにすぐぶち当たってその先を考えられない。いつも過程を考えてクリアするのが当たり前だったけれど、あんまりにも壮大なことは考えがどうしたって及ばない。だったら過程はとりあえず知らない、考えない。ただ、なぜ自分はそうしたいのか、そうなったらどんなことができるのか、どう在りたいのか、それを先に考えてみる・・・そうか・・・これが夢見るってことなのねとやっと理解した。
中庭があって、
畑があって、
釜があって、
器が焼けて、
風通しがよくて、
広くて、
お芝居が観れて、
学べて、
遊べて、
食べて、
誰でも入ってよくて、
走り回って、
気が向いたら戯曲とか書いてみたり、
踊ってみたり、
歌ってみたり、
絵を描いてみたり、
花見したり、
肝試ししたり、
何かあったらシェルターみたいになって、
何かなくてもシェルターみたいに使ってもいいんだけれど、
実際に備蓄があって、
耐久性のある建物で、
ここに来れば大丈夫と思える場所。
大阪の都心で。
あったらいいなぁ。
きっと作っちゃうなぁ。
うひ。
十五夜のお月さん。おしるこのお月さん。
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