終わりがない

PLATの戯曲講座で、いろんなことを考えるのでございます。

年齢も経験もさまざまな方が集まってきてくださいました。初めて書くという方もいらっしゃって、でもなんだかすごいなぁと感心いたします。初めてなのに、おお、すてきー! という言葉がたくさん生まれたりするのです。

そうして、思い出すわけでございます。自分の「初めて」を・・・Ugly ducklingの旗揚げ公演のことをふと・・・ふとね、思い出しました。客入れの時に・・・台本を書くという惨劇でございました。恐ろしい思い出でございます。思い出しただけでも身の毛がヨダチます。そうしてとうとう最後まで書けずに20分押しで開演するという・・・無茶苦茶の19歳の秋、大惨劇でございました。スタート切ってすぐさま奈落の底。どん底から始まるともう上を向くしかありません。うん、イイ感じ。

書くって面白い作業だなと思うのであります。

例えば実際に起きたコトを取り扱っていたとしても書くのは自分だから、資料を読んだ瞬間からもう自分の脳内に格納されちゃう。たくさんの情報が自分の中に入って、もう誰のものでもなく自分の脳内を通って、それが指先から文字になって目の前に現れる。文字は脳内だ、と思うのであります。

目の前の文字を見ると、

自分の脳を、自分が見てると思う。

当たり前だけど脳って現実的に自分ではつかめないから。

素手で掴んだらホラーだし、ぎゃあ。

だけど、文字にすると理解ができる。

文字だって掴めるものではないけれど。

読み取ることができる。

確かめることができる。

想像をまた広げていくことができる。

そんでもって戯曲って、またその文字を俳優が発語して、空に消えていくのだ。

また掴めないものに還していく。

しかしこれまた不思議だけれど、消えていくはずの言葉は観客の脳内に刻み込まれることがある。つかめないのに、見えないのに。

文字を書くって、戯曲を書くって、不思議な作業だとつくづく感じたのでありました。 

だから終わりがなく、尽きないのだなぁ。

すてき。


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