40年経って思い出すこと

この夏。

姪が二十歳になり、甥が17歳になっていて驚いた。あんなにちびすけだったのにと驚いた。とくに甥は姉に了解を得て、ワタクシ出産に立会いましたのでさらに驚きでございます。生まれる瞬間を見た子ですので驚き驚きです。自分が二十歳や17歳の頃とはもう比べ物にならないくらいの優しい子たち。

今年の夏で、甥は一通りの手術がすべて済んだ。 

母親である姉はきっと心からホッとしているんだろうと思う。それを見て私もホッとする。 出産に立ち会ったときに、母親は子どもに対するすべての責任を自分が背負うのだと知った。誰のせいでもないことであっても、自分のせいだと自らを責める。確率もデータもなんの意味もなさない。自分の子どもに起こった出来事と、他所のデータなんか照らし合わせてなんになる。母親は自分に出来うる限りのことをやり尽くす。

甥もいつかはそれを真に理解する時がきっとやってくるんだろうなと思う。自分がどれだけ愛されているかを本当の意味で理解するのはきっともう少し先だろう。17歳の夏は17歳らしくていいのだと思う。いつか分かる。今よりももっと分かる。

ナンだ、17歳って?

自分で言って疑問だけれど。つまりは青春ってやつで。親の心子知らずでいいし、子どもの心を、親はきっと思い出せないままでいいんだろう。

 

そしてワタクシがこの夏、真に理解した母の愛は・・・

母上は、ごっこ遊びをめちゃくちゃ本気でやってくれていたという事実・・・!!

よくよく思い出すと、えげつないほどにごっこ遊びしかしない子どもでございました。延々とごっこあそび。激しめのごっこあそび。もうネバーエンディングにごっこあそび。それを「もうやめよう」とも言わずにワタクシのさらに上を行く母上のごっこ遊びだったことを思い出したのでした。

 

それは、ここねさんとごっこ遊びをしていて思い出したことでございます。のめり込んで遊んでおります。すると、とてつもなくリアルに自分の子どもの頃を思い出すのです。あの時、自分が言ったこの言葉に対して、母がどんなごっこ遊びで切り返してきたか、細部までをリアルに。映画を見るように。面白い体験でございます。もう40年経つというのにそれは鮮明に。40年経ったから鮮明になるのかもしれません。

忘れていくんじゃなくて、これからどんだけのことを思い出していくんだろうと思うと面白い。


夏の夕暮れにふと思い出す。

「なんでみーさん、演劇なんか・・・」

という母上の言葉。

いやでもオカンよ・・・

それはあのごっこ遊びが48%くらいは影響していると思います。

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