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2018年8月8日水曜日

「木次線、その先へ」ができるまで

はじまりは、
木次線でお芝居をと、西藤くんから話があって。

そうかぁ。列車でお芝居とは面白そうだなと。
大阪のチンチン電車でも一度演出をしたことがあったなと。

しかし。
ワタクシは旅人で、雲南や木次が地元ではなく・・・

ただ列車を使ってお芝居をするだけでいいのかどうか、うーん。

大阪から雲南に来るためには、松江から宍道へ。
宍道から木次線で木次駅で下車。
木次線がなければ木次に辿り着けない。
車があればいいのだけれど、レンタカーで乗り捨てもなかなかお値段がね。
そんなこんなで案外木次線には乗るけれど、
本当の木次線のことはなにも知らないなと思ったわけであります。

と、そんな時に、
去年、中野の小学校で「赤鬼の授業」を一緒に創った多賀さんから
メッセージをいただいて。

多賀さんのおじいちゃんの弟さんのお話でした。
戦争のことを演劇にしてもらいたいというわけではなく、
背景を伝えたかったんですと。
多賀さんのメッセージには最後、

「モノは聞いているなら。トロッコ列車が子どもの笑顔を運んだり、普通の列車が高校生の通学の手段なら、今現在乗客が減ったとしても、列車は、幸せなんじゃないかな」

と、あった。

あの小さな木次駅から学徒動員でたくさんの少年たちが旅立っていった事実が
そこにはある。機関車トーマスじゃないけれど、爆撃される場所へと子どもたちを運んでいったその時代の列車が喋れるなら、なんと言ったんだろう。

そうか。
知らないならば、聞けばいいのだ。
木次線を使う人たちや、かつて使っていた人たちには、背景がある。
聞けばいいのだ。
今回これを企画したつむぎの南波さんや
お手伝いの多賀さんや、
西藤くんにもお手伝いいただいて、
木次線をよく使うみなさんに、
木次線の思い出なんかを書いてもらって集めた木次線特有のメモを、
ワタクシは普遍にして演劇にするのであります。









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