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2017年12月21日木曜日

唐組Experience その1

誰に頼まれたわけでもないけれど、書いてしまうのであります。
長いのでいくつかに分けてアップしますー。
唐組の体験を備忘録として。



唐組Experience

2016年11月。

『荒地に立つ』の打ち上げ。時刻は終電も間近だったと思う。

「稽古をどんなふうにしてはるのか、見てみたいです」

思わず溢れた私の言葉を、久保井さんはひょいと受け取りさらりと答えた。

「じゃあ来年の秋公演、出てよ」
「え? え? でも、私、役者じゃないので、あの、演助のほうが、あの、」
「うん。演助もだけど、で、ちょっと出て」

でも、いや、と口の中で言葉がモゴモゴしているうちに、一番最初に紅テントを観に行った時の記憶が弾ける。
がっちりメイクをした役者たちから靴袋をもらったあの衝撃。
受付でチケットを手渡してくれる時には、メイク道具がそこにあったりもした。
ああ、そうだったなと思い返す。
紅テントを知るには、一度や二度の稽古を見学したところで知ったことにはならないのだろうなと思った。参加するなら、まるごと参加するべきだろう。たぶん久保井さんもそう思ったから「で、ちょっと出て」なのだ。そんな話になるちょうど前日に、2017年の秋に予定していた企画がどうやら来年に持ち越しになるという連絡を受けて、秋がまるっと空くなぁと思っていたところだった。これが縁ってやつよ、と頭の中でもうひとりの自分が私に言った。

というわけで。
2017年、唐組秋公演『動物園が消える日』を紅テントと一緒に過ごすことになった。稽古の始まりは9月の初旬。もうすでに、8月中に何度か台本を読む日があったのだけれど、私は8月いっぱいまで島根県雲南市で公演をしていたので少し遅れての参加になった。

高円寺の駅を降りて少し歩き唐組のアトリエに向かう。1階が稽古場、2階が事務所、3階は衣装や小道具が積まれていた。アトリエで稽古をするのは1週間ほどで、それ以降はテナントを借りて、タタキ場兼稽古場に設えるのである。タタキ場兼稽古場はどうやら毎回場所が変わるらしく、今回は、以前スーパーマーケットだった場所に、稽古で必要な一切合切を持ち込む。冷蔵庫まで積み込んで。稽古はお昼の13時から夕方まで。それ以降は大道具、小道具、衣装などの“作業”を夜中まで続けるのである。一応、区切りは22時。たぶん、劇団員たちはその日の作業のメドがつくまで続けているのだろうなと思いながら自転車を漕いで帰る。ほぼまるまる1ヶ月、13時から稽古が始まるので、12時前に着いてみると新人の劇団員男子2人はもうすでに掃除を始めている。もう少し早めに家を出ても、やっぱりもうすでにいる。作業が詰まってくると朝まで続けることもあるらしい。日に日に、大道具が出来上がっていく。昨日はパネルだけだったのに、今日はそこに窓がついている。次の日には入り口のドアがつけられて、エレベーターも作り上げられていく。舞台そのままの場所で、稽古をするのである。

テントを建てる日の1週間ほど前に、“照明稽古”と呼ばれる日が2日ほどあり、稽古場で照明を吊り込んで稽古をする。音響はずいぶん早いうちに曲が入る。唐組はスタッフワークも全て役者がするのがデフォルト。音響や照明のオペレーションを一人の人間が通して担当するのではない。自分が出ていないシーンのオペを担当する。さっきまで音響操作をしていた役者が、さっとブースから出てテントの外側をまわって舞台へと登場する。そして自分のシーンが終わるとまたブースに戻ってスタッフの仕事をするのだ。
お……オドロキ……だから音響台本や照明台本には、ここから岡田、ここから樋口、と、そんな書き込みもある。稽古を始めた頃は蒸し暑く汗びっしょりだったのが、稽古場を引き払い、本番の場所となる神保町に移動する時には、肌寒い季節に移り変わっていた。稽古場はもとのガランとしたスーパーマーケット跡地に戻り、トラックは全ての荷物を積み込み走り出す。

そして何もないところにテントが建てられる。
製図、というテントを建てるためのラインを杭とロープで引き、天井になる大きなテントが広げられる。屋台崩しをした時に見える風景を考えて製図を描く。鉄のポールが6本。1本のポールを建てるのに男の子たち総出である。「よいしょ、よいしょ」の掛け声を、何度聞いただろうか。地面に寝ているポールを建てる。紅い地面がもっこりと動き出して、ポールの1本目が立ち上がり、さらに2本目、3本目、生き物が呼吸するみたいに紅いテントが生まれていく。
それぞれのポールの一番先に括り付けられた2本のロープを左右から微妙に引っ張り、まっすぐに建てる。地面には大きな杭が打ち込まれて、そこに引っ張ったロープを巻き、止める。ここまでに午前中いっぱいはかかる。舞台が設えられ、美術が立て込まれ、とりあえずそこで1日目が終わる。日没を過ぎると作業が出来なくなる。まさにお日様とともに、である。テントを建てている間に、女の子たちは楽屋テントを建て、地面に打ち込まれた杭が危なくないように布を巻く。丸太を括り付けるバン線なるものを作る。立て看板を作る。細々と、本当に細々と、だけどやることが山ほどある。

2日目は美術を最後まで立て込み、照明、音響を仕込み、楽屋テントの中を作る。いわゆる“鏡前”はボテと呼ばれる衣装ケースを机代わりにする。テクニカルと呼ばれるスタッフワーク、舞台上の役者の動きの確認を済ますと、本番と同じ時間にゲネが始まる。神保町の本番は3週間に渡った。その間に日々、気温は下がり続ける。さらに雨。台風。今年の東京公演はほぼ毎日雨だった。テントではカッパは必須だ。自分の公演ではいつも客席でお芝居を見ているのが慣れっこになっていた私は、本番でまたオドロキの光景を目の当たりにする。出番でない役者たちが、テントの隙間から本番を覗くのだ。上演を始めから終わりまで全て目撃しているのは、他でもないお客さんのみ。ただ、声は聞こえる。私はじっと目を閉じて、声だけで何かを掴みとれないかと試みる。そんな神保町の本番を終えて、今度は鬼子母神へと移動する。
テントは建てたならば、それを畳まなければならない。
本番を終えた紅テントは、今度はまるで眠るように地面に横たわる。
そしてあとに残るのは何もない空き地。

私は妙な感覚に陥った。
積み込まれたトラックと、何もない空き地を交互に見る。
そこにあったのに。
今はない。
と、思った瞬間に神保町での3週間の本番が夢になった。
あったはずなのに、なくなったのである。
私の記憶の中にしかない。演劇と同じだ。
とても簡単に言うなら、

「え? 本番って……やったっけ?」

空き地に吹く風を掴めないように。
でも、確かにあった。
はず。
建物の威力。目に映る刺激。目の前にあるもので、自分の記憶が辛うじて留められていることに気がつく。
それから鬼子母神でテント建て、畳み、静岡で建て、畳み、金沢で建て、畳む。
何度も紅テントが誕生する瞬間を見て、死ぬ瞬間を見る。
軽く冗談のように、

「もうね、神保町の本番が前、前、前世くらい昔に思えます」

と言ったりもしたけれど、案外本当にそう思っている。紅テントは繰り返される人生なのだと思った。それをぎゅぅっと凝縮している。だから私はこんなにもおぼろげな記憶しかないのだろうと。しかし稽古や本番で感じたことを、記憶を少しずつ辿って書き記してみようと思うのだ。

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