スペース・ゼロとHIGHSCHOOL PLAY FESTIVAL

大阪にスペース・ゼロという劇場がかつてありました。
大阪写真専門学校の地下1階。
わたしが初めてそこに行った時には、
たぶんもうビジュアルアーツ専門学校になっていたと思う。

昨日、古賀先生のお別れ会がありました。
会のお手伝いをしながら、いろんなことを考えた。

「HIGHSCHOOL PLAY FESTIVAL」

夏の、高校演劇部のフェスティバル。
1回目はスペース・ゼロで開催。
2回目からは、ウイング・フィールドも参加。
ウイングさんのこけら落としでした。
ワタクシ・・・16歳、2回目から参加をいたしました。
昨日集まった兄さん、姉さんたちに、「樋口、2回目から参加してんの!?」
と驚かれます。
ええ、イガイと、年食ってんです。
今年で何回目でしょうか。
年がバレるので記載しませんが。いや、バレてもいいけど。

高校生にとって学内以外での公演。
しかも、小劇場を1日自由に使える。
しかも、2回公演。
今ならわかりますが、なんて贅沢なんだろうと思うのです。
いつだって渦中にいるときは気がつかないものでございます。
1週間くらいかけていろんな高校がかわるがわる公演いたしまして、
最後には閉会式というものがございました。
おっさんたちが高校生たちの上演についてグダグダトークを繰り広げるのです。
そしてそれを見る高校生たち。
このグダグダトークがやたらと面白かったことを覚えております。
グダグダで結構辛辣なのに。
今ならわかります。
見事なパフォーマンスであったからです。
エンターティメントでございました。
エンターティメント劇評。
それが終わると、参加した高校生たちとスタッフの人たちと先生たちと、ジュースとお菓子で打ち上げをするんです。ものすごい数の高校生になる。そこで交流とか生まれたりしておりました。ジュースで打ち上げ。
高校生のころのわたしは、なんてバカな大人が存在するんだっ! 
と衝撃でございました。
嫌な大人ばかりが生きているのだと思っていたのに、
バカな大人がいることが、たぶん、わたしには興味深くて面白かったのでございます。
だから、高校演劇生活が終わって、さて演劇を続けるかとなった時、
まよわずスペース・ゼロを訪ねました。
右往左往するワタクシたちはその時のスペース・ゼロのスタッフさんに相談しにいったりもしいたしました。古賀先生にもお世話になったけど、スペース・ゼロのスタッフさんにもお世話になりました。

そんでもって、劇団を初めてから長いあいだずっとスペース・ゼロが拠点でございました。
本番が終わると、教員室に行くわけです。
終わりましたーっつってお金を払いに行くのです。
そうすると、すき焼きとか始まっているわけでございます。

「ちょっと座りなさい」

と、古賀先生に言われるわけです。
 え・・・座ったら長いやん・・・と思いながらも座るのでございます。
そしてメッタ切りにされ、喧嘩が始まるのでございます。
喧嘩といっても、今思えば、古賀先生は余裕で笑っていただけでしょうか。
古賀先生に一言なにか言われて、カチンとくるワタクシが噛み付く、という構図でございましょう。そしてまたさらに先生がメッタ切りにしてくる。
二十歳やそこらの小娘の言うことをころころと手の平で転がしていた感じでしょうが、
小娘のほうは必死でございますのでね、
理論もへったくれもなくただ感情で噛み付いておりました。
アグリーダックリングの主宰は池田さんでして、彼女はバランス感覚のすぐれた人でございましたので、なんだかんだと言っていつもフォローしてくれていたと思われます。
先生、ワタクシ、2ミリくらいは成長しておりますわよ。
そして帰るころには、なぜか次の公演の日程がなんとなく決まっているのでございます。

「はぁ? 次? 文句言われてもやるに決まってんですよ!」

とか、なんとか言ってたと思う。

ゼロが閉館するときに、最後の集まりがありました。
そのあとで、楽屋でひとりきり、がっくりと座る古賀先生を見た。
たぶん、泣いていたと思う。
けれど、わたしがいると気が付いて振り返った。

「君たちが面白いことくらい、僕はずっと前から知っていましたよ。みんな遅いですね」

と、言った。

専門学校の先生になったり、ゼロを主宰したり、でも閉館になったり、専門学校をやめたり、カステラを作り始めたり、たぶん、いろいろあったんだろうなと思う。
人と人のあいだで生きるわけだから、いろいろあったに違いないと思う。
でも、それはわたしの知らないことばかりだ。

わたしが知っているのは、すき焼き食べながら、

「だから君たちはまだ高校生なんですよ。甘いんですよ」

と、カチンとくることを笑いながら言う古賀先生だ。
それでいいし、それしかわたしの記憶にはない。だから十分だ。

古賀先生は、「乱暴だ」と言うことが多かったように思う。

「演劇を1時間で切るなんて、乱暴だ」

と聞いたのは、高校を卒業してからずいぶん経ってのことだ。
だから、HIGHSCHOOL PLAY FESTIVALが立ち上がったのだろう。
1日劇場でどっぷり創作して、お客さんをよんで、その場所を共有する。
高校生といえど、それをする。
自分のことは自分でする自由がそこにあった。
させてもらったとは思わない。
そんな風に考えたら、先生に噛みつけなくなる。
スペース・ゼロを貸してもらった、なんて思わない。
やりたいからやったのだ。
だからすき焼き食べながら噛み付く。
たぶん、日本語とか、全くもって喋れていなかった時代だから、支離滅裂なわたしの意見をよく聞いてくれたと思う。すごい忍耐力だと、今ならわかります。
今だに支離滅裂ですが。
めんどくさい小娘でございましたから。
でも、めんどうを先生は否定しなかった。
面白がった。
こんなめんどうを相手にする覚悟ってのはどっから出てきたのか、それを聞きそびれた。

HIGHSCHOOL PLAY FESTIVALは毎年ある。
今年もある。
過去のことはいつも過去だから、いつもならそれを言おうとはあまり思わない。
けれど、どうしても書き記したいのはHIGHSCHOOL PLAY FESTIVALが今も続いているから。形や形式や形態は変わったとしても、始まりがなければ今ここにそれはない。
知らなくてもいいことはたくさんある。
でも知っていてもいいこともたくさんある。

HIGHSCHOOL PLAY FESTIVALは、

君たちはいつだって自由で、そのかわり自分たちが最後まで足掻いて足掻いて足掻かなければならないんだ。

と言った人が立ち上げた。
その人は古賀先生という人で、 ヒゲがあった。

そして講評をする大人たちは肝に命じなければならない。
高校生は愛のない批評を実は見抜く。
優しい言葉でも見抜く。
エゴのための批評を見抜く。
それをうまく言葉に出来なかったとしても、
まだ錆びていない本能がそれを見抜くのだ。

底なしの愛で「だから君たちはダメなんだ」と言い続けた古賀先生をわたしは知ってる。
それは先生なりの表現だから、それぞれの表現で愛が伝わればいい。
わたしはわたしの愛を持って接するしかない。

あの時代に、
めちゃくちゃでハチャメチャな季節を過ごせたことが今のわたしに繋がっている。

先生、かすてらうまかったです。
では、またどこかでお会いしましょう。


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