パフォーマー高安美帆と岸本昌也

公演のたびに。

よくある、
「この回は良かった」
とか、
「昼の公演より、夜のほうが良かった」
とか、
聞きますね。

『祭礼』ではそれがありませなんだ。
一回目も、二回目も、三回目も、四回目も。
比べる、ということが出来ない、と言えばよいのでしょうかね。
そもそも、何と比べて良かったのか悪かったのか。
彼らの舞は、相対的じゃなくて絶対なのかしら。

高安さんはhmpの女優さんでございます。
数年前に、hmpさんの公演に携わったことがございます。
岸田理生さんの「リア」を上演する際に、パタンナーという形で参加させてもらいましたの。
なんだよ、パタンナーって。
それはワタクシが勝手に考えたものでして。
構成というのかしら。
テキスト作成でもなく、「リア」を上演するにあたって、hmpとしての「リア」をするために
土台となるものを創る、というのかしら。。。
デザインは演出である笠井くんで、
ワタクシは型紙を創る人、という意味です。
お針子はパフォーマーたちで、「リア」というお洋服を創る、という考えをしましたの。
その時に初めて高安さんと出会いましたの。
本当に素晴らしい役者さんで、いつか言葉に頼らない作品を一緒に作れたらなぁと
思っておりまして数年が経ち、今回の『祭礼』に至ります。



高安さんは一歩動くのにも無防備には動きません。
動くための根拠がきちんと体にある人なのです。
なんとなく、は、ありません。
ワカラナイことを隠す演技はいたしませんの。
だから嘘がないのです。
自分の体と、内側を探ることに長けている人でございます。
ほんわかした容姿で小柄、そしてパッションは人一倍。
『祭礼』で舞っている時にはヒトのいる次元とは違う場所で舞っているように思えましたの。
ああ、これが巫女さんなのかな、と思いましてよ。
イタコじゃないけれど。
媒体、というのかしら。
「私は入れ物ですから」
という言葉の意味が分かりました。
観る私たちは、高安さんという巫女の中に自分を見るのです。
彼女に、私たちは代入可能なのです。
映像オペの、ののあざみ嬢が言いますには、

「透明になっているような感じがした」

ということでございます。
高安、という“個”がない、というわけでもなく。
この感覚をナンと言いましょうかね。
高安さんに自分を代入すると、自分との対話が始まりまして、
そうすると今度はもっと広い場所へ繋がる感じがするのです。
広いところってドコよ?
そうでございますわね。。。
ドコかしら。
宇宙?
というといきなりスピリチュアルになってしまうわ。
ちょっと胡散臭い。そうではなくて、うーん、的確な言葉がまだ見つかりませんことよ。
高安さんが舞うとヒトが生きてきた膨大な時間を感じるのです。
それってやっぱり宇宙なのかしら。
またワタクシの自問自答が始まってしまうわ。

もう一人のパフォーマーは岸本昌也くん。



高円寺のアカデミーの同級生。
アカデミーにいるころからキニナル人№1でございました。
穏やかで、雅で。
でもただ穏やかで雅じゃない。
なにかあるんだけれど、なかなかそれが見えない。
だからキニナルのです。
神楽の型を使って創作ダンスをする岸本くん。
土台となるテキストを渡して、
(そこにはイメージが書かれてありまして)
ダンスを考えてくださいというとワタクシの考えなど一っ跳びに超える
舞を踊ってくれたのでございます。
そして踊るうちに見えたことは、

彼は荒ぶる彼であった、ということが分かりました。
高安さんが舞えば舞うほど透明になるのとは反対に、
岸本くんはいつもは見え隠れするエネルギーがアラワになるのです。
一枚一枚、“彼”がまとっているものがはがれていくようです。
そしてそこに見えるものは、荒ぶる彼。
かと言って、むき出しの感情があるのとはまた違う。
二人とも正反対なのに、出発点は一緒のような気がします。
だけど出発は自己の表現とはまた違う。
やはり、“入れ物”なのです。
岸本くんの荒ぶりは、私たちの荒ぶりでもある。
やっぱり、そこには代入可能なものがあるのです。

ハテ。
演劇は代入可能であるものが演劇というのではないだろうか、と思うのです。
だからそこに観客が必要なのではないだろうか、と思うでのす。
ここで行われていることは、アナタのことでもあるのだ、というのが演劇なのではないかと、
思うのです。

神楽を舞う彼らを見て、演劇を考えていたようです。

では。

ワタクシはナンなのか。
彼らに代入するワタクシというものはナンなのでしょうかね。
彼らとともに『祭礼』を創ろうとしたワタクシは、何を表現しようとしたのか、
あるいは表現などしなかったのか。
テキスト上で彼らに質問したいくつかは、あれはワタクシ自身に対する問でもあったのですもの。
なぜ、お芝居をしているのですか。
なぜ、続けているのですか。
なぜ、表現せねばならないのですか。
なぜ。

と、問いかけながらも、ああ、新しい服が欲しいなんて考えているのですよ。
考えれば考えるほど、ワカラナイ宇宙に投げ出されますなぁ。
それでも考えることをやめられないのだからヒトってやっかいでございますわね。
見上げればただ空があるだけなのに、でございますよ。



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