私は戦争を選ばない

派手な骨折をした28日から、
落ち着いて言葉にするには日々が怒涛であったし、すぐに言葉にもできなかった。
クリエイションもひと段落して。
落ち着いて考えてみる。
行き着く先は、いつでもここになる。
 
私は戦争を選ばない。

私は右派でも左派でもないしリベラルでもない。政治家でも革命家でもない。
どうやって国益を守り、人民を守り、国を守っていくのか、そのHOW TOなどわからない。
わかったらそんな仕事をしているだろう。
だから政治を語ろうとも思わない。
そしてまっとうな政治などもうどこにもないように思える。
私は表現者でありアーティストであり観測者である。
私は私の言葉で世界を理解するしかないのだ。

私の身近に、12歳の女の子たちが数名いる。
大阪だけでなく、島根にも石垣にも。
彼女たちは12歳の今を笑って生きている。
彼女たちの明日が突然奪われるような世界であって欲しくない。

と、同時にそれはイランに生きる全ての12歳の少女たちの明日も、
イスラエルに生きる全ての12歳の少女たちの明日も、
アメリカに生きる全ての12歳の少女たちの明日も、
ウクライナに生きる全ての12歳の少女たちの明日も、
ロシアに生きる全ての12歳の少女たちの明日も、
ガザもベネズエラもキューバも中国も台湾も、
今ここに生きる全ての人たちの明日は、決して突然奪われてはならない。
それは誤解を恐れずに言えば、どんなにひどい人間であっても。
 
今、そんなことを言うのは理想でしかないことは、わかっている。
現実はこの理想とはかけ離れていることも、わかっている。
この理想がすぐに実現できるほど世界は平穏ではないことも、わかっている。
 
世界はずっとずっと今にも切れてしまいそうな細い紐の上でつま先立ちを続けている。
 
経済や宗教や歴史、人種、隣国、地形、国内の事情、外交の事情、各国それぞれが、生き残るために戦略を練っている。それはすべて、自分の国で平和に豊かに暮らしたいと願うからだ。
 
そのために。
そのために戦争を選ぶ国がある。
 
この平和で豊かに、というこの言葉も、それぞれの国の文化、それぞれの国の指導者たちの思う「平和で豊か」であるから、日々日常を暮らす私たちの思うものとは違うことが多々ある。そうして指導者たちがエゴイズムに飲まれれば飲まれるほど、時間と資源とお金と命の無駄遣いが続く。
 
原則として、国際法においては戦争は違法。
けれど自衛であるならばやむなしとなるのであるなら、
どの国だって自らは正義の国と思っているから、どんな戦争も自衛になってしまう。
人間たちは平和に豊かに暮らすためにずっと戦争を選び続けている。
 
なぜ?
 
私たち人間が愚かな証拠だ。
指導者たちだけが愚かなのではない。
人間が愚かなままで居続けるなら、指導者が変わっても今までと同じように戦争が選ばれ続けるだけだろう。
 
平和に豊かに暮らすために、
軍隊を持つ、抑止力となる核を保有する。
現実的に生き延びるためには至極当然の国防だろう。
それが無理なら同盟国に守ってもらう。
けれどそれは本当の主権国家であるかどうか、あやしいと感じる。
まさに今の日本がそれだもの。
 
私の頭が足りないから、どうにも納得ができない。
 
平和に豊かに暮らすために。
武力の上にしか安寧が築けないのであれば、それは本当に安寧だろうか。
武力を土台にしてしか国を築けないのであれば、戦争は起こるべくして起こるとしか言いようがない。
 
いや、わかってる。
武力に対抗できるのは、武力しかないことはわかっている。
事実、そうなのだろう。
 
だけど、と思う。
本当にそうなんだろうか。
本当にその方法しかないんだろうか。
 
ただ私は、「人間とは本当にそこまで止まりなのだろうか」と問いたいのだ。
そう問いながら、「この矛盾が人間そのものなのかもしれない」と諦めそうになる。
 
今すぐの解決や、今すぐの改善にはまったく繋がらないことしか私にはできない。

国やその国の指導者たちがいくら戦争を選んでも、世界中の、日々日常を暮らす私たちがずっとずっと「戦争を選ばない」ことをえらび続けていると、世界はどうなっていくだろうか。
平和に豊かに暮らすために戦争を選ぶ世界が変容するまで、生ぬるい時間では足りない。
10万年かかると思って、今、「戦争を選ばない」と発する。

これからの日本はどう存在していくべきか。
アメリカもろとも、戦後80年で積み重ねてきたものの結果があらわれるのだろう。
国がどんな選択をして、どんな道を進むのか。
私は日本を誇りに思っているが、SNSなどでよく見かける愛国者のそれとは全く存在が違う。
だから私は私の選択をする。
私は戦争を選ばない。
そう在りたい。
そう在ろうと思うのと同時に、

私の12歳の友人たちにもし銃口が突きつけられてもなお、私はそう言えるだろうかと自分に常に問い続けることも忘れない。

世界は誰が誰に銃口を突きつけてここまで来てしまったんだろう。


 ※もしたとえば、あなたが、世界の動向や戦争について何か思うことがあって、だけどそれがうまく言葉にできないでいるとしたら。まわりや、SNSでいろんな人がそれぞれの思いを表明したりして、それを見るたびに、何も言っていない自分にモヤモヤしたり、よくわからない焦りを感じていたりするのなら、無理に外に向かってアウトプットする必要はなく、ただ自分の内側でじっと感じて考えていればいい、と私は思う。内側にちゃんと在るなら、それはいつしか必ずどこかであらわれるから。誰にどこに表明する必要もない。まず自分に表明すればいい。このブログもまた私のただの備忘録である。

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