Plant M No.25 AI HALL特別公演 『劇団Ugly duckling コラージュ・リーディング』が無事に終了しました!
5月に舞台監督の都さんがアイホールでピクニックをした時に、搬入口も2階の窓も開け放たれていて、それはとても気持ちがいいものでした。2階に窓があるなんて実は知らなかったし、3階がギャラリーなんてさらに知らなかった。劇場を知るにはスタッフさんに聞くのが一番ですね。ピクニックに感謝です。 客入れの時、2階の窓から差し込む陽の光で、なんだか教会みたいだなと感じた。
ご来場くださったお客様✨
俳優のみなさま✨
オーディションを受けてくださったみなさま✨
スタッフのみなさま✨
関わってくれたみなさま✨
お手伝いくださったみなさま✨
とか書いてるけど、もうなんだか関わる関わらないとかさえも全部まるっとでいいじゃんと思うので、とにかく今生きてるすべてのみなさまにありがとうありがとうございました!
そして、ありがとアイホール。
少しひいて時代を見れば。
いつもどこかで何かが終わり、いつもどこかで何かが始まっている。
劇場はいくつも閉館して、いくつも生まれている。
だからいつでもさほど悲観的ではないのだけれど。
今回はそう思うのと同時に、
生身の表現や芸術にとってなかなかに厳しい未来だなと思っている。
公共はもう「で、これが社会のナンの役に立つの?」というものについて面白がれる余裕を、もう持たないというか、もう持てない現実にきてしまっているから。
芸術は、今判断できないものだからこそ、未来に委ねるものなのだ。
今、必要でないならと、ここで切っていくと、未来は先ぼそりになる。
つまり、これからは貧困が始まるのだ。
もちろん経済的に、そしてそれは心理的貧困でもある。
だから必要なんだけどな、と思う。
心理的貧困は、想像するという概念を持ちにくくなる。
それは疑うという概念を持ちにくくなることと同じだ。
何が自分にとって良いのか悪いのか。
それは想像し、疑うことからしか見つけられない。
想像と疑いを自ら持てないと、さて何が起こるのか。
情報に流され、翻弄される。
自ら真理を見出し、判断することが難しくなる。
得なことに飛びつく。
これらはもう始まっているだろう。
想像と疑いは、体感だ。
身体を使って体験すること。
演劇ってものには、やる方にも、観劇する方にも、想像と疑い、
この両方が備わっている芸術なのだと私は思っている。
「で、これが社会のナンの役に立つの?」というものに対してのanswerは、生身ではないものへと移行している。TikTokであったり、YouTubeであったり。それらがBADと言っているわけでは決してない。
そこに身体をどう持つのか。
演劇は生身で実践されるものである。
もしかしたら、この未来の先には劇作家や演出家の一部は、AGIやASIにとってかわられることもあるかもしれない。厳密に言えば、劇作家や演出家が活用すると言った方が正確だろう。
けれど、俳優だけはその身体が別の人工物になるのは、あったとしても、もっともっと遥か未来だと思うし、それはなかなかの進化だ。ASIに肉体という入れ物を与えたら、神に肉体を与えることと同じになると想像する。それはどんな世界なのだろう。見てみたい気もするけれど。私は決して人工知能の未来を悲観しているわけではない。だって私たちはドラえもんを見て育ったんだもの。人工知能と共存できることを想像できる。しかしそれはあくまで、私たちが「身体」というものの重要性を理解した上でのことだと思っている。
「そこで僕らは何をするべきか 」
というセリフが初期のラストの暗闇で発せられた。
そうなのだ。
なかなかに厳しい未来だから、落ち込んでいるバアイではないのだ。
場所がなければないなりに。
お金がなければないなりに。
人が足りないのなら足りないなりに。
創造をやめるわけにはいかない。
これから創作を続ける人、始める人々へ。
意義や意味があるクリエイションはもちろん認められやすいし、きっと必要なものだろう。
けれど、 意義や意味がなくったって、
今、どうしてもそれがやりたいのであれば、自分が始めたことを信じてみたい。
意義や意味は本来は、未来が決めることだ。
だから今あなたが取り組むクリエイションは、
どんなものであっても未来を創るのだと思って続けてほしい。
これが、私がコラージュリーディングを終えてふりかえって思うこと。
さあー!
ここからまた長いよー!!
初期の俳優紹介✨
太田浩司さん
昔からジーコと呼んでいる。今回、声をかけさせてもらったら「最近は教えるほうばかりで、役者やってなくて」と言っていたけれど、役者にブランクなどないのだと思った。 俳優って生き方なんだ。『深流波』の真がとても掴みにくい役だったようで、彼はそれをどう乗り越えたか。一度全部覚えて、つまり人物に言葉という肉体を与えてから、再び肉体を捨て、文字に戻るということをやったそうだ。そうだった。ジーコは、いつだって自分で解決策をユニークに見つけ出す俳優だったなと思い出した。だから「教える」ってことができるんだな。
出口弥生さん
UglyでもPlant Mでも俳優をやってくれまして、コロナ以降は少しお休み。こちらもまた、ブランクなどないと実感させてきやがる出口さん。舞台に立った時の自由度がエグいんだ。元祖小さな巨人。『ひとよ一夜に18片』の日世子(上演は花嫁だった)に悩むが、出口さんのすごいところは、戯曲への読み込みが深いところ。なぜ自分が引っ掛かるのか。戯曲と自分の考えのズレを見つけられたら、突破が早い。だから悩むことが突破につながる。過程こそを演劇ととらえる。きっとこれも、俳優の生き方なんだろうな。
得田晃子さん
Uglyへの客演以来の得ちゃん。とってもお久しぶり。『深流波』の昇子ちゃんの天真爛漫の悲しさはきっと合うだろうなと、それは思っていた通り。逆に『つぶならべ』の樹(女)は、これはどうかしら、ちょっと違うかしらとドキドキしながら配役してみたけれど、恐ろしいほどに引きずる樹(女)になって正直ビビりあがりました。得ちゃんはひとつ、ひとつ、ベイビィステップを踏みながら、着実に階段を上がる俳優だと思う。ひとっ飛びではない。だからこその確実性が彼女の強みなのだ。
ののあざみさん
UglyでもPlant Mでも常連さんの、ののさん。がっつり安定安心土台はしっかりしております。ののさんがすごいなと思うのは、日々は芸術創造館の館長としてある意味カタイ仕事をして、劇場を継続するために行政と渡り合っていながら、同じ日に、まるで真逆の仕事の「俳優」を同居させて生きていることだ。この切り替えは並大抵のことではない。日常から突如、エマージェンシーの舞台に入る瞬間のスイッチを持っている。昼間、俳優とは違うお仕事を抱えている人はたくさんいるから、その人たちのとてつもない希望だと思う。
橋本浩明さん
はしのはし、と呼ばれている。そろそろ拒否してもいいのに拒否しないのが彼だ。Plant Mにたくさん出演してくれております。現実世界ではひっそりと息を潜めているのに、舞台に立つとどうしても観てしまう。それは彼が命かけてそこで立っているからなのだ。大袈裟に言っているわけじゃない。本当にそうなの。ヒタヒタと静かな狂気の人。針のような細い武器で延髄にぶっさす、みたいなイメージが多いのだけど、今回の『眠りの切り札』の馬男は、グレートソードを振り回すような広がりを私は感じた。
早川丈二さん
ジョーさん。2000年から2005年くらい、ともにUglyで過酷な時代を生きました。Plant Mとしては初めまして。何を考え、何に疑問を持ち、何に心惹かれているか、それが俳優というものの土台を創ると私は思っておるのです。ジョーさんはUgly以降、20年という時間と歴史を積み重ね生きてきたんだなぁと実感するのと同時に、そうだ、この人、とても素直な人だったと思い出す。かつての素直さは言葉を変えれば「安直」であったことが、20年の積み重ねによって理解度が深まった「正直」さとなって現れたんじゃないかと私は感じている。
Plant Mでは『祭礼』に出演してもらいました。それは演劇というか、パフォーマンスだったので、演劇としてがっつりは今回が初めてです。あきおさんも、ジーコ同様「最近は演出が主で、半分役者やめてるねんけど大丈夫?」とのことですが俳優とは生き方。『獣のこのこ』の猿丸はあきおさんにと決めておりました。この時代、私はとにかく唐さんの文体を真似て真似て、真似しきれない自分の文体を模索している時代でした。力強いセリフをあきおさんが発した時に、半分と言わず、がっつり役者をやってほしいと思わずにはいられなかったな。
吉川貴子さん
Uglyを解散してから、演劇は全くやっていない。全くといえば違うけれど。2011年から10年間、年に1度の私の彩雲リーディングのみ。それでもほとんどやっていないに等しい。舞台に立てばどうしたって主役になるという人はいるものだ。それが彼女だ。今は一児の母となったからか、稽古の最初『こども魂』のプリケツを読んだとき、プリケツじゃなくて花屋(母親の方)になっていることに驚いた。15年近く時が経ったことを実感した。「たかちゃん、花屋になってるよ」と言うと、天才的カンの良さですぐに取り戻す。俳優のセンスというものがあるのなら、彼女はとてもそのセンスが高いのだと思う。
ここまでがオールド俳優たちの紹介。
彼らはこの企画を立てた時に、ひぐの方からオファーをした皆さんでした。
初期の戯曲は8人のオールド俳優たちで考えていたのですが、変革期のオーディションの日々の中でたくさんの若い人々と会っていくと、むくりと疑問が私の中に芽生えて。
果たして本当にオールドたちの肉体のみで初期の戯曲を押し通すべきだろうか?
彼らは影になるべきではないだろうか?
では、光の肉体がいるじゃないかと思った。
変革期のオーディションが終わって結果を出す前に、初期の戯曲をリライトして「稽古着」という新たな役が生まれました。
松浦亜美さん
今、目の前にあるものを、今とらえることに敏感だと思った。それはとても細かい作業で、しかしとても大切なことなのだ。一見、それは誰かの目には止まりにくものだからうっかりと人はすっ飛ばすことが多い。しかし彼女はそれをおろそかにしない。 それって舞台上で嘘をつかないということなのだと私は思う。丁寧な取り組み。自分は演劇に携わるのだという覚悟にも感じる。だからきっと彼女は演劇に関わって生きていくのだと思う。
谷平咲希さん
緊張なのか、不安なのか、稽古の時に感じていた身体の躊躇は、劇場に入ると一転する。舞台に立つとエネルギーが上がる。それはもしかしたら無意識なのかもしれない。そりゃこんなにオールドたちの中にいきなりぶっ込まれたのだもの。躊躇する。彼女は初期チーム最年少。大学生さん。これでいいのだろうか、間違っていないだろうかと思う思考は躊躇を生む。しかしひとたび、彼女が自分を信じたところから、躊躇は消えて輝くのだ。
変革期のラストに、稽古着の彼女たちは再び登場します。
客席から舞台へと駆け上がり、
パソコンを開け、今現在のひぐちのト書きを読み上げてくれます。
全てコラージュで紡いだけれど、ラストのこの一文だけは、今の私の言葉。
「言葉を外に連れ出すのは、いつだって俳優たちだ」
初期は彼女たちが主役で、オールドたちが影なのだ。
それは至極当然だと思う。
主役はいつでも未来だから。
変革期の俳優紹介✨
大路絢かさん
きっと人とは違う何かを見ているのね、と思わせる佇まいが大路さんの魅力。そしてそれは確実にそうなのだ。言葉への敏感さ。自分が感じることについてスルーしない丁寧さ。彼女の内省はしっかりと表現へと還元されている。初めての世界に一歩踏みだす勇気を彼女がどのくらい感じているかは本人でしかわからないことだけど、こちらから見ていると、それはとても大胆な一歩として爽快に感じられるのだ。
太田裕介さん
『トキシラズ』のマスノスケがきっとピッタリだ、と思ったのです。打ち上げの時に、「僕の強みと弱みを教えてください」と問うてくれたことがとても嬉しかったです。知りたいものですもの。自分のことをより深く知るために、他者から言葉を得るって大事なことだと思う。強み弱みの内容よりも、それを聞こうと試みることが何より大事だと私は思う。私が答えを持っているわけではない。それを聞いて、さてどう考えるか。その要素を持てたことが豊かだと思う。強みと弱みはネガとポジ。情熱と視野狭窄は表裏一体。魅力であり、同時に弱点である。
小笠原彩さん
その小さな体にいっぱいのエネルギーが動いている。それをさらにもっと解放できると感じて。小さな巨人の要素がぎゅうっと詰まってる。踏ん張れる足の裏を。爆発できるお腹を。おがちゃんにありとあらゆる可能性を感じるのです。「これをやりたい」というまっすぐな意志は、必ずやり遂げるだろうなと確信が持てる。人は意志で自分を動かしているから。今はスポンジのようにあらゆることを吸収できる時期だから、日々の変化がとても興味深かったです。
小西冴空さん
冴空ちん(さくと読みます)も、おがちゃんと同じように目まぐるしいほどのエネルギーが体の内側にあって、持て余しあてしまうほどにあって、これを意識的にコントロールできるようになったら怖いもんなしだねと思うのです。それは急いで習得するものではないだろうし、オールドたちが獲得してきたように、蓄積されていくものだと思う。とは言うものの、初日開けて、二日目の本番前に身体のことを冴空ちんに伝えると、楽日で激変するという。スポンジだっ!!!体感すると、俳優は速いのだ。もう蓄積は始まっているんです。
澤田誠さん
アナタ、オールドですよねと思わず言いたくなるサワディーです。経験も豊富で、いろんな手法も習得しているだろう彼のすごいところは、それら今自分が持っているものを、一旦横において、ひぐの話すことを真っ直ぐに受けっとてくれたところでしょう。それって実は経験がある俳優さんほど難しいことだと思う。一旦、横におけないと、現場で稽古が立ち行かなくなることも多いはず。それは俳優が悪いとか演出が悪いではなくて、それぞれが培ってきた土壌の違いなだけ。サワディーがあらたなものをこの現場で獲得できていたら、うれしいことです。
髙道屋沙姫さん
結構なヘイレベルのことを、沙姫ちゃんはクリアできる稀有な俳優だと思う。彼女が稽古場以外のところでどのようにお芝居に取り組んでいるのか、それは彼女以外に知ることはできないけれど、相当な努力をしていると思わずにはいられない。求められれば求められた以上にかえしていく細やかさと柔軟さと律儀さがあるのだ。しかし最も沙姫ちゃんが輝くのは、自由であることだと思っている。お好きにどうぞとなった時、彼女の脳内には、彼女の物語が始まるからだ。そうなったら、もう彼女はぶっちぎりの無敵だ。
座組最年少の中川ちゃん。最年少とはいえ、その演劇センスの良さには脱帽する。 ねぇほんとにまだ10代なのですか、と問いたくなる。舞台度胸というものも兼ね備えているのだろう。理解をしたからアウトプットできるのか、理解をする前にとにかくアウトプットしているのか、どちらなのかまでは私には見分けはつかないけれど、どちらにせよ、いろんなことが速いのだ。そして一度アウトプットを体験したら、他にも応用してみる試みも速い。これからいろんな現場でいろんなことを吸収してほしいと思う。きっとすごいことになる予感がスル。
真嶋秀典さん
思わず真嶋先生と呼んでしまうくらいに、衣装のジャージが小学校の先生並に似合っていたのです。黙ってそこにいるだけなのに、ああ、そこにいる、と切に感じられるってスゴイことなんです。浮遊しているようなのに、確かに存在している。独特な存在感。それって意図的に創り出せるものではないように思う。浮遊する存在感の真嶋先生が『改訂版さっちゃん』の八神の時に見せた朝子に対する厭世的な空気がとても印象的だった。かと思えば、『照準ZERO IN』のお医者の勢いの面白さ。静かな炎なのだ。
演出助手 澤多亮佑さん
本来、俳優希望者に演出助手をお願いするべきではないだろうとは、思っている。オーディションに参加してくれた彼にそれをお願いするのは、どうなのだろうかと少し迷ってしまったのだ。これは良いことなのだろうか……たまたま、少し前に大学生たちがPlant Mの『ラズベリーシャウト』を上演してくれた。彼はその演出を担当していて、私はその上演を観劇して大いに自分自身を反省することになる。とても丁寧に演出してくれていたから。俳優は渦中になる。演出助手というのはある意味方便で、外から俳優たちを見てみる、という時間を渡したいと思った。この体験が、何か糧になったらうれしいなと思う。
Plant M No.25 AI HALL特別公演 『劇団Ugly duckling コラージュ・リーディング』
無事に終えることができました。
さてここから20年後たった未来で、私は2025年を振り返って何を思うのだろうか。
生きてるか死んでるかわからないけれど。
BBAになるって、面白いことだな。
ああっ!!!
そうだ!!!
そして、ありがとう✨劇団Ugly duckling✨
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