3月2日(日)
近畿大学 東大阪キャンパス Eキャンパス D館 3階で上演されました✨
がっ、学生さんたちがっっっ……!
Plant Mの『ラズベリーシャウト』を上演してくれはるなんてっっっ……!
わいの作品を手に取って上演しようと思ってくれるなんて……
なんて、なんて、稀有な方たちなんだろう……!!
感謝しかありません。
とってもうれしいことです。
今回に限らず、上演許可のご連絡をいただくたびに本当に感謝でいっぱい。
ありがとうありがとうありがとうございます✨
こ、こんな……
ウギュッとしてて、ゴリッとしてて、ギジっとしている作品を……
若い人が選んでくれるっていうのが本当にありがたし……!!
丁寧に丁寧に、戯曲を読み込んでくれてはるのがとってもよく伝わって、ハッとすることばかりでした。学ぶものばかりでした。私が教えてもらってる。ありがとうございます。
驚きが本当にたくさんで。
大学で演劇を学ぶってすごいなぁ。
テクニカルもすごく考えられていて。
大学の中にとっても素敵な小劇場があるってことも驚き。
ムービングだ……ムービングがむいむい動いてる……と、驚き。
今回の座組の皆さんは、20歳くらいの若い人たち。
この年までお芝居していたら、こんな若い人たちが上演してくれるなんてことが起きるんだとまたもや驚き、BBAになってみるモンだなと思いましてよ。
こんなに年齢が離れているのに、ズレも違和感もなく、なんて彼らにフィットしているんだろうって、また驚いた。
とっても深く読み込んでくれているからだろうと思うのと同時に、
私はもっと身体的感覚を感じたのだ。
『ラズベリーシャウト』は、未来のお話で。
やがて朽ちてしまう地球をあとに、新しい星へ移動を促す通達員と、頑なにこの地球に残ろうとする人々のお話。決してファンタジーではないんだけど、ファンタジーにも受け取れる。
舞台上の彼らは、この劇世界を本当にリアルに生きていると感じた。
ファンタジーではなかった。
それが驚きで不思議で。
どうして、この少し不思議をリアルとして生きられるんだろう?
これって、実は結構ムズカシイのに?
観劇後に頭と心を巡らせて考える。
あ、そうか。
彼らは、高校3年間くらいがちょうどコロナにぶち当たっている世代だ。
日常が急にひっくり返ってしまうことを人生で体験している。
当たり前が当たり前じゃなくなる瞬間を知ってる。
普通ってものが普通じゃなくなることを知ってる。
今日と同じように明日があるとは限らないことを知ってる。
少し不思議が、急にやってくることを知ってる。
『ラズベリーシャウト』の劇世界を、もう先にリアルで体験しているのだ。
すっかり大人になってからコロナ禍を体験するのか、
思春期に体験するのか、 幼少期に体験するのかで、
その心と身体に及ぼす影響は世代さまざまだ。
大人たちは過ぎていく日々とともに、コロナ禍も過ぎ去らせることが可能だ。
もうすっかり忘れている人々も多いだろう。
けれど、子どもたちは違う。
それは人生の一部になる。
自分の一部になる。
あっという間に自分を取り巻く世界が一変する体験は、自分自身を構築する一部となる。
彼らの身体と心は、日常と非日常を自在に行ったり来たりすることができるのではないかと思った。コロナ禍で高校時代を奪われたと表現してもいいけれど、だけどあれは彼らにとってかけがえのない体験だったのだと感じた。
それは私自身の子ども時代もそうだったからだと、あらためて自分のことも振り返れた。
日常など、一瞬でなくなる。
「これはコロナ後に書いたんですか? 」と、演出の澤多くんから聞かれて。
7年前だから、コロナの2年前。
うん、7年前よりも今の方が絶対分かる。
人々がいない町は、まるでコロナを想像させるから。
7年前はちょっと早かったんだなぁ。
だいたいいつも5年から10年早いんだなぁ。
若い彼らがどんなふうに戯曲を読んでいったのか、わいの学びのためにぜひお話を聞かせてほしいでございます✨
ステキチラシ。チラシ用に撮影して作ったそうです。
生成AIで作ったのかしらと勝手に妄想をしていた自分が恥ずかしい。
指先と土。
照らす小さな火。
知っているはずだけどあらためて。
こんなお話だったんだなぁと、彼らに教えてもらえました。
人類は進化してるって思える。
希望を見せてもらえた気がして。
ありがとうございました。
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