『ふれるものみな』振り返りと私の備忘録

4月20日、21日に『ふれるものみな』が無事に終わりました。

ひぐの一人ふりかえり。備忘録としてもブログにアップします。
この作品も、なんだか縁だなぁと思うのであります。
 
『YAKISOBA』の時に、石畑君がツアーなども含めて、とってもお世話になったのが犬かいさんでございまして、石畑くんからお名前はお聞きしておりました。『くいくがりの涙』も観劇いたしまして、どうもどうもとご挨拶はしておりました。
 
それからひぐは、谷ノ上さんからの依頼で『ゆんたくしましょうね』を執筆しましたの。
なんと全部一人芝居だな。

『ゆんたくしましょうね』は沖縄の物語なので、「お芝居のことも理解してくれはって、その上で沖縄の言葉を指導してくれる人はいないだろうか……」と、途方にくれました。
 
ハッと脳裏に犬かいさんが……!!
 
ダメもとでお願いしてみようと思いました。
そしたらもうなんというか、言語以外でもお世話になりっぱなしで、
『ゆんたくしましょうね』の沖縄初演では受付を手伝ってくださって、 
それ以降、谷ノ上さんが沖縄で公演をするたびに手伝ってくださって、
 
そんな犬かいさんから声をかけてもろうて、ああ、もう、今こそでございますのよ!!

犬かいさんからのお願いは、「明るい話でお願いします」と念押しされ(あは!)
もう一つ。
観終わった後に、あれ、もしかしてこれは、もしかして、辺野古のこと……?
と、感じられるようなもの。
ふんわりと。
じんわりと。
 
こんな言い方だったかは、はっきりと記憶としてとどめていないけれど、
でもそんなニュアンスだったと思う。 

ちょうどその頃いぶきさんのお稽古で岐阜に滞在していて。
お稽古が始まるまでの時間をメディアコスコスの図書館で過ごした。

沖縄のガイドの下地さんにガッツリとガイドをしてもらった2022年。
本当にハードだった。
これ私、できる? と。
私が。
沖縄のことを。
書いたりできる?
戦地と基地をひたすら巡って。
巡れば巡るほどに。
あの時のことを思い出した。
辺野古のことを調べれば調べるほど。
そこに住む人たちのがんじがらめの感覚が入り込む。
絡まって捩れて、何をどうしたらいいのと途方に暮れる。
あー。
下地さんの車の後部座席に座って、
延々とフェンスを見ていたあの瞬間と同じ感覚がまたやってきた。 
体から何かが抜き取れていく感じ。
生きるパワーみたいなものが小さくなっていく感じ。

そのことを確かフェイスブックで書いた時に沖縄の伊波さんから、
 
「あのフェンスは、諦めてって意味」とメッセージをもらったことを思い出した。
私は岐阜の図書館でしばらく動けなくなって、次の瞬間机に崩れ落ちて突っ伏した。
 
こういうとき、だいたいぐるぐる堕ちていくときなのだ。
パワーが失われているときは、責めることしかできなくなる。
 
沖縄を通じて出会う人たちはやはり皆、沖縄とともに生きていて。
ともさん(谷ノ上さん)は沖縄に自分の人生かけている。 
あらわれ方はそれぞれに違うけれど、犬かいさんもやっぱりそうで、
そして沖縄でお世話になった伊波さんもやっぱりそうで。
私がなにかを創作することをしていいのかもうわからなくなる。
 
その現状を知り、そこに生きる人たちのことを想像し、
 
とかなんとかいくら言ったって、私は大阪や東京に帰る。
自分の人生丸ごと沖縄にかけられるかと本当に自分に問うた時、
それはできないと正直に思う。 
そう思ったとたんに自分を責める声が響く。
誰だ、お前は、誰だこの声は!?
 
と、突っ込んで、ここで我にかえる。

『ゆんたくしましょうね』の時に散々悩んだことをまた繰り返しそうになった自分に気づいて、ハッとする。

やめよう。
一体これはなんの罪悪感だろうかと我にかえる。 
罪悪感は、目の前のことを明らかに見る目にそっと目隠しをしてくる。
 
突っ伏した体を起こす。
ノートに書く。

「では、あなたはなににかけているのか」と書いて問う。
 
「演劇という表現」と指が動く。
 
それなら「演劇という表現」をやるだけだ。
というか、それしかできないのだから。

犬かいさんって人のことに視界を広げてみる。
どうして彼女は沖縄に居続けるんだろう。
まるで片思いしているように沖縄のことを話す。
私には沖縄の人にしか感じられないけれど、「ちがう」と彼女はいつも言う。
 
ヘッドフォンから喜納昌吉の「花」が聞こえてくる。
 
劇中のミナがやる空中に飛び交っている言葉をつかむのは、私がよくやることだ。
それをノートに引っ張ってきて書きつける。 
パソコンに打ち込む。

どえらい長いあらすじを書いて送ると、「ファンタジー!」と犬かいさんが言った。
 
そうなのだ。
自分でも実存フェアリーテール戯曲、なんて言ったりして。

あのフェンス。思考を奪うあのフェンスが、花になんてなるわけがない。
花になったらいいな、なんてふんわり思えるほど夢も見れない。
一度絶望してから書いた。
絶望の上に構築した。
それで良かったのだろうかと今でも自分を疑う。
 
もちろん全てはメタファーだ。
今まで流してきた血の赤色だ。
そしてこれからは、
私たちが血を流せる覚悟がなきゃあのフェンスは消えないと言う意味でもある。

それらを犬かいさんに渡した。
 
きっと私なんかよりも理解し痛みを持って、
この物語を深化して、進化されていくのだろうと思う。
 
深淵へ。
 
今となってはもう日本語のセリフ方が覚えにくいとさえ言った犬かいさんは、
本当は誰なんだろう。
 
もうすでに彼女の中には「お師匠」がいるんじゃないだろうか。
 
この作品を書く機会を与えてくださったことに感謝です。ありがとう。

来年の沖縄版最強の一人芝居フェスティバルには、
今以上にたくさんの方が応募してくださることを祈って✨✨✨


 

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