「凜然グッドバイ」を少しずつ その4

さて、ふにゃふにゃと続きます。
「凜然グッドバイ」を少しずつ、その4。

覗き込む、あの腕輪のことをふにゃふにゃ。
小道具のことがフラフラしておりました。
なんやかんやと持ち込んでみては、
うーむ、違うなぁと唸る日々でございました。

はじめは、詩人度数というものを計る小道具を考えておりました。
初演は見た目もおもちゃのようなものを使いましてございます。
いかにも。
そんなもので人の何が計れるのだろうか?
 と思えるおもちゃを使ったのであります。
ばかばかしいモノで計ったのになぜ人々が信頼を寄せるのか、
という皮肉を思ったのであります。


そして今回は、
当たり前のように、生活の中で使われているもの。
それを探したいと、考えたのでございます。
軽快に身につけられていて、
いろんなものが見えて、(見えると思えて)
なんか支払いだってそれで出来ちゃう、みたいな。
一般市民にも浸透しているアレ。
それ持っていないなんてもうアリえないというアレ。
それで結構人々がそれに大いなる信頼を寄せているアレ。
なんかそれだけでいろんなことが出来てしまえる生活に欠かせない、

そうだ、便利グッズだ!!

さっと取れてさっと身につけられる・・・腕輪(バングル)だ!
なぜそこで腕輪に繋がるのかの説明が全くうまくいっておりませんが、
それはお稽古を観に来た舞台監督の都さんが、

「あれはなに? この世界でいうスマホみたいなもんってことやんね?」

・・・お! おお! 
す、すごいです。都嬢、ワタクシが、アレ、アレと連呼していたものを
的確に具体的に言葉にしてくれたのでございます。
そうか。あれはスマホなるものだったのですね。
なんでもできる便利モノ。

デモとディーラーのDのシーンでは、売り買いの契約書として2人が活用しておりました。
ああ、その時はそう使うのね。
と、稽古をしながら感心いたしました。

何度目かの本番の時に、ディーラーのシーンを観て、
あの便利グッズの腕輪が、囚人が捕らえられた腕輪のように見えたのでした。
囚われた人間の枷のように見えたのでした。
便利なるものに縛られているように見えたのでした。
面白い発見でありました。

しかし一度便利を知ったら強制的でないと戻れないのが人でございましょうか。
だって今、ポケベルには戻れませんもの。ふにゃふにゃ。



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