「凜然グッドバイ」を少しずつ3

わ。
丸い。
わ、でございます。
床に寝かせると、このように。


タテにすると、このように。


こちら8パーツに分けることができるのでございます。
本編中には、4パーツにいたしまして、
ののさんとでぐちさんが完成の輪っかにするところから始まります。
ハマるとカチっと音がいたします。
わざわざ作っていただきました。
バラバラなものが繋がって輪っかになる。

一番はじめの「凜然グッドバイ」は春と冬の2バージョンございました。
衣装も美術も2バージョンでございました。
ひとつはガラクタのようなもののなかで。
もうひとつはクリアなケースのなかに色とりどりのカラーボールがありました。

で、今回はなんだろう。
2017年の「凜然グッドバイ」に何を持ち込むのだろう。
IKSALONをどう使うのだろう。
必要なものは何なのだろう。
極論は、何もなくてもイイ、と思うのですが、
想像の種は必ず必要なのではないかと思うのです。
説明するものはできるだけ除いて、説明よりも想像するものを。
地球。
月。
軌道。
覗き込む。
始まりと終わり。
入り口。
センとデモの道。
出口。
辿っていく。
境界。
そちらとこちら。
宇宙船。

それらに、見立てられるもの。
そのように見えてくるもの。
しかし限定をしないもの。
というわけで、ノートにぐるんとマルばかりが書かれておりました。
丸い円が舞台上にひとつポカンとあるのって、どうだろうかしら。
それが鉄なのか、素材が何なのか、まではちーっとも考えておりませんでしたが、
美術の柴田くんが、

「鉄は?」

てっ・・・!!
鉄!?
つ、作れるのだすかっ!? オー!? なんて素晴らしいんでしょうか!!

この輪が、観る人には何に見えるんだろうか。
もしかしたら、もっとわかりやすい提示の方法があるのかもしれない。
とは、毎回考えるのであります。
より、物語を伝えやすくするもの。
しかし。
しかしであります。
観客の想像はいつだって作品を飛び越えていくのであります。
思ってみないモノを、観てくれるのであります。
だから「背景」ではなくて、想像の種を置くのであります。
種を置きますと、こちらが想定する以外のものを育ててくれるのであります。
観客とは、育むひとびとなのだろうと思うのです。
だから毎回客席の空気も密度も違う。
毎回公演は最終実験段階に入るわけであります。

ナンだろう?
これはナンだろう?
という疑問が、想像の種だと思うわけであります。

いやん、でもしかし。
あまりにも、ナンだろう? ばかりが多すぎるとそれはそれでイケない。
というのも、頭のすみっこに置きつつ。
それでも説明の風景よりも、想像の種に希望を持つのであります。

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