目撃しにきてくださいな

そのシーンだけを切り取ってそこだけをどうにも稽古ができない病でございます。
俳優は過酷でございましょうか。
ののさんと出口さんはもう慣れてしまったので、ああ、はいはいといつものことでございます。しかし、いつものことだとこちらも慣れてはいけないと、試みるのでございますが、やはりどどーっと通してしまいます。そのあとに膨大な振り返りがございます。

しかし今回は大きくふたつに分けられる。
前半がずばずばぁーと行くと、後半はその流れでずばずばぁーでございます。
ずばずばぁーしか言うておりませんね。

目の前で人間が動いているのがどうしても観たいものでございます。
体が動く。
思考が動く。
見えない空気が動く。
感覚が動く。
稽古で動いたものが、最終的にお客さんを目の前にしたときに、
どんな変化になるんだろうかと、
いつも想像するけれどもそれは毎回想像を超える。
毎回のステージは同じではない。
毎回同じお客さんが揃わないもの。
同じ人でも、同じ空気になるかどうかはわからない。

昨日の自分と今日の自分はどこか違う、
けれどもやっぱり自分以外のナニモノでもない。
そのように。
昨日の舞台と今日の舞台は違う、
けれどもやっぱり「凜然グッドバイ」なのでありんす。

舞台と客席に見えない線があるかもしれないけれど、
眺めるものでなく目撃するものにならないだろうかと、
考えるのでございます。
だからぜひとも観に来てください、というよりかは、
ぜひとも目撃しにきてください。

目撃すれば、その人のなかでなにかが動くだろうと思うのです。
目撃されれば俳優のなかでまたなにかが動くのだろうと思うのです。
そしたら舞台と客席のあいだで循環していく空気が生まれるんでは、ないかしら。

みたいなくらーいことをなんやかんやとギチギチ考えていると、漢方でアドバイスをくださる清水先生が一言で一蹴してくれたことがありました。

「やだ、みいさん、それ気のせいよ」

えっっっ!!
気のせい!!?

人生気のせい!?
なんだか魔法の言葉だわ。


コメント